さとりさん あんようじょうどいん さいこうじ
佐鳥山 安養淨土院 西光寺 縁起
本尊 阿弥陀如来
平安時代初めの弘仁年間(810-824)に法相宗の徳一和尚の開基。
その後南北朝時代の応安3年(1370)に天台宗となる。江戸時代の天保15年(1844)4月7日夜八つ時に客殿常香盤より出火。客殿、庫裏、十王堂、表門、土蔵、長屋など全山を焼失したが、本尊と朱印状は焼失を免れて現存している。
現在の本堂は平成14年(2002)(当時住職谷晃瑞)に建設されたもの。
西光寺の創建については、春日神社(西光寺より300㍍ほど)と大きな関わりがある。『上川淵村誌』によれば弘仁年中、奈良興福寺の経僧徳一法師が諸国修行のためこの地にきて、春日大明神を建てた。それに伴い別当寺を建て興福寺を移し、西光寺と名付けた。
古くは法相宗寺院であったが、続く戦乱で本山との連絡が途絶え、南北朝期末の明徳年中(1558-1570)に村雄(西光寺中興の祖)が寺に入り、天台宗に改められた。
永禄年中(1558-1570)、上杉謙信が春日神社と西光寺を焼き払った。さらに天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの戦乱の余波で上佐鳥村も無くなった。江戸時代に入り村に家が建ち、徳川家光より朱印15石を得て寺を再建した。現在も3代家光から14代家茂までの朱印9通が残されている。
また、安政年間(1854-1860)から明治6年(1873)まで寺子屋があり、現在の上川淵小学校の元となった。
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本尊 阿弥陀如来
写真中央におられるのが、本尊 阿弥陀如来様です。
両脇侍は観世音菩薩様、勢至菩薩様です。
(両脇侍は平成22年7月に開眼)
第37世谷晃瑞住職発願により建設。
檀信徒の皆さんの寄進により建立された。
平成14年11月に落慶を行い、現在に至る。
本堂正面7間(西廊下1間が別)奥行き7間
御朱印
下記の写真が徳川家より受けた朱印の9通のうち2通です。
一般の方には公開しておりませんが、寺物として大切に保管されています。
第37世谷晃瑞住職代に建立。
平成2年2月20日に鬼石町(現藤岡市浄法寺町)淨法寺において、山田恵諦天台座主猊下導師で開眼法要を行う。
翌年3月に西光寺に模写した大師像を建立。